2008/07/30
龍皇女婚譚
空がうっすらと白み始め、朝の早い店や情報などのギルドの人々が動き始める気配がする。
春の空はまだ天高く澄みきり、人々に本日の晴天を告げていた。
璃緒はテラスから身を乗り出し、まだ静かな城門を眺めた。
「お早うございます姫様。今日はお早いんですのね」
まだ寒いですから、と侍女のシラクはローブを差し出した。
「ねぇシラク」
ローブに手を通しながら言う
「犀生皇子とレノ将軍は…噂通りの人かしら」
「噂通り…毒蛇と嘘つき狐ですか?」
くすくすとシラクが笑う。
「ええ。乙女に甘い言葉で楽園から追放される原因を食べさせた蛇と」
「聖女を騙してタナトス[冥府]に導く狐……ですよね」
二人は顔を見合わせ、またくすくすと笑った。
毒蛇と嘘つき狐。璃緒と侍女のシラク、ラティの三人で、周りの噂から考えた犀生皇子とレノ将軍のあだ名である。
「でも、本当に噂通りの方々みたいですよ」
シラクの真面目な声に、璃緒はすっと笑いを引っ込める。
「なぜ?」
私達はシャシャ女中頭と先にこちらに来ていたので、町で少し情報を集めてみたんですけど、と前置きをしシラクは話し始めた。
「流石はラーナですよね。王都の何倍も異邦人がいました。」
「港町だし…。王の側に仕えた可能性もある吟遊詩人も多かったでしょう」
二人は話しながら部屋に戻りテーブルにつく。シラクは紅茶を淹れながら話を続ける。
「まず犀生皇子ですけど、第三皇子でありながら、兵力財力権力、どれもを他の皇子を遥かに上回っています。勝つ為に人を陥れる事など全く気にしない方みたいですよ。ただ、国民には異様に人気があるみたいですけど」
璃緒はいぶかしげに眉をひそめる。
「国民に?煌帝国では武力による圧政が敷かれているのに?」
「ええ…そう、なんですけど。国民に水を惜しまないらしいです」
シラクは不思議そうに答えた。
なるほど、ね。璃緒は出された紅茶をすすりながら納得する。
「シラク、煌帝国の輸出第一位は?」
「え?砂油…ですよね。あれ、ガティアでした?」
「いいえ、砂油であってるわ。ガティアは確かにどの国も欲しがるけれど、数が少ない物だし、あまり売ったら戦争の時に危険でしょう」
砂油とはその名の通り濾砂機を使って砂から取る油である。主に灯用の油として使われ、質は低いが原料の砂は膨大にある為に安く、他国でも需要は高い。機械工業の発達した煌帝国ならではの物だ。
ガティアは金属鉱石。軽く丈夫で鉄や鋼では傷一つ付けられない為、鎧や剣に用いられる。
「じゃあ、輸入第一位は分かって?」
「水です」
シラクは今度ははっきりと答える。
「広大な砂漠が広がる煌帝国に置いて、必要不可欠なものは水ですから」
「そうね、じゃあ砂油工場で汗水垂らして働くのは?」
「平民です。―――あ…!」
「そういう事。働く人が水不足で死んでしまえば、自分達の収入も減る。逆に増えればより多くの砂油が手に入り、結果多くの水を買うことができる。…国民に与えた水の倍は戻ってくるでしょうね。」
「それなら…国民は仕事がよりきつくなっても…兵役がかさんだとしても、水の為なら不平はないはずですよね。人気があるわけですね」
使われてるのにくいっと紅茶を飲み干す。
「飴と鞭…良い使い方じゃない。でも実際に実行できるなんて…」
シラクは紅茶を注ぎながら質問する。
「やっぱり、難しいんですか?」
「そりゃ、難しいわよ。煌帝国の歴代の将軍達は、命の糧の水を抑える事によって絶対の権力を保っていたんだもの。少し間違えれば反乱が起こって政権を奪われてしまうかもしれないわ」
「凄いですね」
紅茶を掻き混ぜながら璃緒は呟く。
「カリスマ性と判断力、指導力、運、それから――…絶対の軍事力」
後は実行力。――…実行できる冷酷さ?
まだ見知らぬ皇子が無表情に逃げ惑う人々を切り裂く姿を想像し、思わず縮こまり自らの体を抱き締めた璃緒は側にシラクが居るのを思い出し、すっと背筋を伸ばした。
見てもいない人に怯えるなんて、駄目。駄目よ璃緒。
私は龍王の一族。常に気高く…気高くなくちゃ……。
「…軍事力」
「反乱を起こす気が無くなるような、ね。何領か…あ、あっちの単位は村だっけ。」
璃緒は話しながらシラクに紙とペンを取るように頼んだ。
「郷と村です。大きい区画が郷」シラクは答えながら璃緒に紙束と羽ペンを渡す。
「そう、じゃあ反乱を起こした…起こそうとしたでも良いけど、そんな郷を見せしめに叩き潰したんじゃないかしら」
「あ……そういえばそんな噂がありました」
蛇より質が悪いわね、と璃緒は苦笑した。
蛇って言うより…砂漠にいる獰猛な蠍といったところかしら。
好きじゃないわ…、毒々しいったら。
「レノ将軍は?」
「――…あ、噂ですか?レノ将軍は、表向きは優しく美しい貴公子で慈善事業に手を出したりしてるんですけど、裏では麻薬密売、殺人、内蔵密輸、人身売買斡旋…色々やってますね。まぁ有名な事ですけど」
「ふぅん。まぁ聞いてた通りって感じ?」
というか慈善事業をやってた方が初耳よ?
レノ将軍っていったら、鬼畜の代名詞みたいな奴じゃない。
璃緒は頬杖を付いて聞きながら、サラサラとペンを走らせる。
「そうですね。」
シラクは「あ、後」と手を打って話を続ける。
「"ヒンノムの谷"…ってご存知ですか?」
「確かテイルの蔵書の一つに書いてあったわね……。意味は…死体や汚物の焼却場…だったかしら?」
シラクは知らないと思いましたのに。と少し残念そうに口を尖らせ、さすが姫様です。と、にこりと笑った。
「でも私がお話ししているのはレノ将軍の"ヒンノムの谷"です」
「知らないけども」
璃緒は頭を押さえながら言う。
だって、ものすっごく嫌な予感がするのは私だけではないでしょう?
「レノ将軍の居城…は岩崖に立てられているんですが」
「知ってるわ。あの国は岩崖面を削ったり、隙間を上手く使ったりして崖面を利用した家を立てるのよね。まさに天然の要塞だって、前に揶矯が言ってたわ」
「その城の裏に絶壁の谷があるんです。」
「はぁ」
璃緒は気の乗らない返事を返す。
「そこに将軍が遊んだ少女や少年の屍体が投げ込まれるらしく、その為"ヒンノムの谷"と皆さん呼んでらっしゃるらしいですね」
……何でそう、普っ通に報告するのよ。
少年と少女が受けた仕打ちを思い、璃緒は吐き気を覚える。
苦しかったでしょう。怖かったでしょう…。
心の中で、どうか安らかであれ、と、璃緒は哀れな子供達に十字を切った。
レノ将軍…会いたくないわぁ。
犀生皇子とレノ将軍の二人を同時に相手しなきゃなんないなんて…。
璃緒はシラクに気付かれない様に小さくため息を吐いた。
「―――そう」
「はい」
「……シラクって…や、何でもないわ」
シラクはにっこりと満面の笑みで応える。
「割りとグロテスクなものは大丈夫ですね。げてもの料理も好きですし」
うえ…
「私は好きじゃないな…」
……大丈夫か大丈夫じゃないかと言われれば、そりゃ食べるわよ?
どっかの馬鹿貴族に馬鹿にされた時はムカついて優美に蜘蛛の唐揚げを喰ってやったわよ。
璃緒はじっとお茶菓子を出そうとぱたぱたと走るシラクを見つめる。
璃緒が6歳になった時に、当時10歳のシラクと5歳のラティは璃緒付きの侍女になった。
二人は可愛い。タイプは違うが、いつも一生懸命でくるくる働く様は愛くるしい。
まぁ、当然かも。侍女を選ぶって聞いた時、深良お兄様とシャシャに「可愛くて有能な子じゃなきゃ嫌」って言ったの私だし。
シラクの青みがかった山鳩色のおさげが目の前を揺れ動くのをぼおっと見つつ、無造作に声をかける。
「シラク」
シラクは振り向き、何でしょう、と上目使いの桔梗色の眼で応え微笑んだ。
ちくしょう。21のくせに私なんかよりずっと可愛いじゃない。
「シラクって…外見裏切るわよね……」
シラクはふふっと笑う。可愛いなぁもう。
「姫様がそんなことおっしゃるなんて、おかしいですよ」
グラシア一の美人と誉れ高いですのに、と口に手を当てクスクスと笑った。
そんなこと、ないのに。
璃緒は毛先をいじりながら言う。
「皆お世辞よ。ひねてて悪知恵ばかり働いて口喧嘩が異様に強くてわがままな女の子なんて、全然可愛くないもの」
まぁ、厄介な人達に好かれても嬉しくないけど。
櫛を取るとシラクは璃緒の後ろに回り、髪の毛をとかし始める。
「あら、可愛いじゃないですか。いつも強がってて時々弱気になっちゃう女の子なんて、男性に人気あるんですよ?」
「弱気になれば、でしょ?」
私が男性の前で泣いたり弱ったりしたこと、ある?と聞くと
「ないですねぇ」
いつも超然としてますものねぇ…、と笑った。
「可愛くないのよ」
だから、犀生皇子もレノ将軍も私を好きにはならない。
それでも…
「それでも彼らは私を欲しがるでしょうね。…国の利益の為に」
最後の言葉を吐き捨てると、璃緒は無性におかしくなった。
そんなこと、生まれた時から決まってるのに、今更。
「姫様…」
まだ、愛されたいと願ってるなんて。
「二人はどんな人だろうね」
好きな人と結婚するなんて私には無理なんだから。
「どうせなら骨のある人だと良いわね」
この17年間そのことを学んできたんだから。
「死ぬまで一緒にいることになるなら戦い甲斐のある方が面白いわ」
私は王女なんだから。気高くなくちゃ。
「持参金にあたるものも良いものが良いわね。私の物になるならより良いものが欲しいわ」
強くならなくちゃ。
「姫様…!!」
そう笑うとシラクが耐えきれず後ろから璃緒を抱き締める。
「そんなこと仰らないで下さい…っ」
シラクは璃緒を強く強く抱き締めた。
「姫様は気高くて美しくて可愛いんですっ!だから私達は姫様にお仕えしてるんですっ!大好きだから、今ここにいるんです!だから――…」
シラクはぽそりと小さな声で、しかし力強く言った。
「だから、必ず幸せになれるんです。愛してもらえるんです。」
「シラク…」
ありがとう。
「お二人も、きっと国の為に悪行してるんです。根は良い人なんですっ」
もう良いよ。十分だよ。
「だと良いわね。シラクが言うと、本当にそんな気がしてくるわ」
璃緒はクスクスと笑った。
もう分かってるから。痛い程。
「じゃあ、シラク達には大好きな姫様の為に働いて貰おっかな」
よっと椅子から元気に立ち上がった璃緒は、はい、と手に持った2枚の紙を差し出す。
「何です?これ」
「こっちはバルドスに渡して。もう一つはあなたとラティに。用意して欲しい事とやって欲しい事を全部書いといたから」
さらりと紙に目を通すと、シラクは顔色を変えた。
「これは…っ」
慌ててもう一度目を通す。
「何を…なさるおつもりで?」
呆然と紙を握り締め立ち尽くすシラクを余所に、璃緒はカチャカチャと茶器を片付けながら不敵に笑った。
「カーニバルでも始めようかと」
「こんなのっ危険過ぎます……っ」
「私、運は良いのよ?それに、最初に縁談の話を聞いた時から考えていたの」
どうせなら、楽しまなくちゃ…ってね。
「ホストは私よ。パーティーを面白くする為に多少の苦労は当然よ」
「でも…っ」
「シラク」
なおも反対しようとするシラクに璃緒は重々しい声を向ける。
「いつから、侍女が姫と同等な発言を許されるようになったの?」
「―――――――!!」
その言葉に、シラクは即座にその場に跪まづき頭を垂れ平伏した。
「申し訳ございません――っ!!」
「良いのよ、気にしないで?」
璃緒はシラクを立たせると、さぁさぁと背中を押して廊下へ。
「じゃあ時間が無いから急いで取り掛かって頂戴」
「かしこまりました」
一礼して出ていこうとするシラクは、扉を閉めながら口を開いた。「姫様」
「ん?」
「姫様を愛してくれる人がたくさんいること、忘れないで下さい」そう言って閉じられた扉に体を預け、璃緒は長いため息を漏らす。
「愛されてること、ちゃんと分かってるよ。…でも…」
わがままでごめんね。でも必要な事なの。
瑯を取り戻す為なら、自分の幸せだって投げ売るわ。
私は王女。愛した人と結婚なんて、出来るわけない。
春の空はまだ天高く澄みきり、人々に本日の晴天を告げていた。
璃緒はテラスから身を乗り出し、まだ静かな城門を眺めた。
「お早うございます姫様。今日はお早いんですのね」
まだ寒いですから、と侍女のシラクはローブを差し出した。
「ねぇシラク」
ローブに手を通しながら言う
「犀生皇子とレノ将軍は…噂通りの人かしら」
「噂通り…毒蛇と嘘つき狐ですか?」
くすくすとシラクが笑う。
「ええ。乙女に甘い言葉で楽園から追放される原因を食べさせた蛇と」
「聖女を騙してタナトス[冥府]に導く狐……ですよね」
二人は顔を見合わせ、またくすくすと笑った。
毒蛇と嘘つき狐。璃緒と侍女のシラク、ラティの三人で、周りの噂から考えた犀生皇子とレノ将軍のあだ名である。
「でも、本当に噂通りの方々みたいですよ」
シラクの真面目な声に、璃緒はすっと笑いを引っ込める。
「なぜ?」
私達はシャシャ女中頭と先にこちらに来ていたので、町で少し情報を集めてみたんですけど、と前置きをしシラクは話し始めた。
「流石はラーナですよね。王都の何倍も異邦人がいました。」
「港町だし…。王の側に仕えた可能性もある吟遊詩人も多かったでしょう」
二人は話しながら部屋に戻りテーブルにつく。シラクは紅茶を淹れながら話を続ける。
「まず犀生皇子ですけど、第三皇子でありながら、兵力財力権力、どれもを他の皇子を遥かに上回っています。勝つ為に人を陥れる事など全く気にしない方みたいですよ。ただ、国民には異様に人気があるみたいですけど」
璃緒はいぶかしげに眉をひそめる。
「国民に?煌帝国では武力による圧政が敷かれているのに?」
「ええ…そう、なんですけど。国民に水を惜しまないらしいです」
シラクは不思議そうに答えた。
なるほど、ね。璃緒は出された紅茶をすすりながら納得する。
「シラク、煌帝国の輸出第一位は?」
「え?砂油…ですよね。あれ、ガティアでした?」
「いいえ、砂油であってるわ。ガティアは確かにどの国も欲しがるけれど、数が少ない物だし、あまり売ったら戦争の時に危険でしょう」
砂油とはその名の通り濾砂機を使って砂から取る油である。主に灯用の油として使われ、質は低いが原料の砂は膨大にある為に安く、他国でも需要は高い。機械工業の発達した煌帝国ならではの物だ。
ガティアは金属鉱石。軽く丈夫で鉄や鋼では傷一つ付けられない為、鎧や剣に用いられる。
「じゃあ、輸入第一位は分かって?」
「水です」
シラクは今度ははっきりと答える。
「広大な砂漠が広がる煌帝国に置いて、必要不可欠なものは水ですから」
「そうね、じゃあ砂油工場で汗水垂らして働くのは?」
「平民です。―――あ…!」
「そういう事。働く人が水不足で死んでしまえば、自分達の収入も減る。逆に増えればより多くの砂油が手に入り、結果多くの水を買うことができる。…国民に与えた水の倍は戻ってくるでしょうね。」
「それなら…国民は仕事がよりきつくなっても…兵役がかさんだとしても、水の為なら不平はないはずですよね。人気があるわけですね」
使われてるのにくいっと紅茶を飲み干す。
「飴と鞭…良い使い方じゃない。でも実際に実行できるなんて…」
シラクは紅茶を注ぎながら質問する。
「やっぱり、難しいんですか?」
「そりゃ、難しいわよ。煌帝国の歴代の将軍達は、命の糧の水を抑える事によって絶対の権力を保っていたんだもの。少し間違えれば反乱が起こって政権を奪われてしまうかもしれないわ」
「凄いですね」
紅茶を掻き混ぜながら璃緒は呟く。
「カリスマ性と判断力、指導力、運、それから――…絶対の軍事力」
後は実行力。――…実行できる冷酷さ?
まだ見知らぬ皇子が無表情に逃げ惑う人々を切り裂く姿を想像し、思わず縮こまり自らの体を抱き締めた璃緒は側にシラクが居るのを思い出し、すっと背筋を伸ばした。
見てもいない人に怯えるなんて、駄目。駄目よ璃緒。
私は龍王の一族。常に気高く…気高くなくちゃ……。
「…軍事力」
「反乱を起こす気が無くなるような、ね。何領か…あ、あっちの単位は村だっけ。」
璃緒は話しながらシラクに紙とペンを取るように頼んだ。
「郷と村です。大きい区画が郷」シラクは答えながら璃緒に紙束と羽ペンを渡す。
「そう、じゃあ反乱を起こした…起こそうとしたでも良いけど、そんな郷を見せしめに叩き潰したんじゃないかしら」
「あ……そういえばそんな噂がありました」
蛇より質が悪いわね、と璃緒は苦笑した。
蛇って言うより…砂漠にいる獰猛な蠍といったところかしら。
好きじゃないわ…、毒々しいったら。
「レノ将軍は?」
「――…あ、噂ですか?レノ将軍は、表向きは優しく美しい貴公子で慈善事業に手を出したりしてるんですけど、裏では麻薬密売、殺人、内蔵密輸、人身売買斡旋…色々やってますね。まぁ有名な事ですけど」
「ふぅん。まぁ聞いてた通りって感じ?」
というか慈善事業をやってた方が初耳よ?
レノ将軍っていったら、鬼畜の代名詞みたいな奴じゃない。
璃緒は頬杖を付いて聞きながら、サラサラとペンを走らせる。
「そうですね。」
シラクは「あ、後」と手を打って話を続ける。
「"ヒンノムの谷"…ってご存知ですか?」
「確かテイルの蔵書の一つに書いてあったわね……。意味は…死体や汚物の焼却場…だったかしら?」
シラクは知らないと思いましたのに。と少し残念そうに口を尖らせ、さすが姫様です。と、にこりと笑った。
「でも私がお話ししているのはレノ将軍の"ヒンノムの谷"です」
「知らないけども」
璃緒は頭を押さえながら言う。
だって、ものすっごく嫌な予感がするのは私だけではないでしょう?
「レノ将軍の居城…は岩崖に立てられているんですが」
「知ってるわ。あの国は岩崖面を削ったり、隙間を上手く使ったりして崖面を利用した家を立てるのよね。まさに天然の要塞だって、前に揶矯が言ってたわ」
「その城の裏に絶壁の谷があるんです。」
「はぁ」
璃緒は気の乗らない返事を返す。
「そこに将軍が遊んだ少女や少年の屍体が投げ込まれるらしく、その為"ヒンノムの谷"と皆さん呼んでらっしゃるらしいですね」
……何でそう、普っ通に報告するのよ。
少年と少女が受けた仕打ちを思い、璃緒は吐き気を覚える。
苦しかったでしょう。怖かったでしょう…。
心の中で、どうか安らかであれ、と、璃緒は哀れな子供達に十字を切った。
レノ将軍…会いたくないわぁ。
犀生皇子とレノ将軍の二人を同時に相手しなきゃなんないなんて…。
璃緒はシラクに気付かれない様に小さくため息を吐いた。
「―――そう」
「はい」
「……シラクって…や、何でもないわ」
シラクはにっこりと満面の笑みで応える。
「割りとグロテスクなものは大丈夫ですね。げてもの料理も好きですし」
うえ…
「私は好きじゃないな…」
……大丈夫か大丈夫じゃないかと言われれば、そりゃ食べるわよ?
どっかの馬鹿貴族に馬鹿にされた時はムカついて優美に蜘蛛の唐揚げを喰ってやったわよ。
璃緒はじっとお茶菓子を出そうとぱたぱたと走るシラクを見つめる。
璃緒が6歳になった時に、当時10歳のシラクと5歳のラティは璃緒付きの侍女になった。
二人は可愛い。タイプは違うが、いつも一生懸命でくるくる働く様は愛くるしい。
まぁ、当然かも。侍女を選ぶって聞いた時、深良お兄様とシャシャに「可愛くて有能な子じゃなきゃ嫌」って言ったの私だし。
シラクの青みがかった山鳩色のおさげが目の前を揺れ動くのをぼおっと見つつ、無造作に声をかける。
「シラク」
シラクは振り向き、何でしょう、と上目使いの桔梗色の眼で応え微笑んだ。
ちくしょう。21のくせに私なんかよりずっと可愛いじゃない。
「シラクって…外見裏切るわよね……」
シラクはふふっと笑う。可愛いなぁもう。
「姫様がそんなことおっしゃるなんて、おかしいですよ」
グラシア一の美人と誉れ高いですのに、と口に手を当てクスクスと笑った。
そんなこと、ないのに。
璃緒は毛先をいじりながら言う。
「皆お世辞よ。ひねてて悪知恵ばかり働いて口喧嘩が異様に強くてわがままな女の子なんて、全然可愛くないもの」
まぁ、厄介な人達に好かれても嬉しくないけど。
櫛を取るとシラクは璃緒の後ろに回り、髪の毛をとかし始める。
「あら、可愛いじゃないですか。いつも強がってて時々弱気になっちゃう女の子なんて、男性に人気あるんですよ?」
「弱気になれば、でしょ?」
私が男性の前で泣いたり弱ったりしたこと、ある?と聞くと
「ないですねぇ」
いつも超然としてますものねぇ…、と笑った。
「可愛くないのよ」
だから、犀生皇子もレノ将軍も私を好きにはならない。
それでも…
「それでも彼らは私を欲しがるでしょうね。…国の利益の為に」
最後の言葉を吐き捨てると、璃緒は無性におかしくなった。
そんなこと、生まれた時から決まってるのに、今更。
「姫様…」
まだ、愛されたいと願ってるなんて。
「二人はどんな人だろうね」
好きな人と結婚するなんて私には無理なんだから。
「どうせなら骨のある人だと良いわね」
この17年間そのことを学んできたんだから。
「死ぬまで一緒にいることになるなら戦い甲斐のある方が面白いわ」
私は王女なんだから。気高くなくちゃ。
「持参金にあたるものも良いものが良いわね。私の物になるならより良いものが欲しいわ」
強くならなくちゃ。
「姫様…!!」
そう笑うとシラクが耐えきれず後ろから璃緒を抱き締める。
「そんなこと仰らないで下さい…っ」
シラクは璃緒を強く強く抱き締めた。
「姫様は気高くて美しくて可愛いんですっ!だから私達は姫様にお仕えしてるんですっ!大好きだから、今ここにいるんです!だから――…」
シラクはぽそりと小さな声で、しかし力強く言った。
「だから、必ず幸せになれるんです。愛してもらえるんです。」
「シラク…」
ありがとう。
「お二人も、きっと国の為に悪行してるんです。根は良い人なんですっ」
もう良いよ。十分だよ。
「だと良いわね。シラクが言うと、本当にそんな気がしてくるわ」
璃緒はクスクスと笑った。
もう分かってるから。痛い程。
「じゃあ、シラク達には大好きな姫様の為に働いて貰おっかな」
よっと椅子から元気に立ち上がった璃緒は、はい、と手に持った2枚の紙を差し出す。
「何です?これ」
「こっちはバルドスに渡して。もう一つはあなたとラティに。用意して欲しい事とやって欲しい事を全部書いといたから」
さらりと紙に目を通すと、シラクは顔色を変えた。
「これは…っ」
慌ててもう一度目を通す。
「何を…なさるおつもりで?」
呆然と紙を握り締め立ち尽くすシラクを余所に、璃緒はカチャカチャと茶器を片付けながら不敵に笑った。
「カーニバルでも始めようかと」
「こんなのっ危険過ぎます……っ」
「私、運は良いのよ?それに、最初に縁談の話を聞いた時から考えていたの」
どうせなら、楽しまなくちゃ…ってね。
「ホストは私よ。パーティーを面白くする為に多少の苦労は当然よ」
「でも…っ」
「シラク」
なおも反対しようとするシラクに璃緒は重々しい声を向ける。
「いつから、侍女が姫と同等な発言を許されるようになったの?」
「―――――――!!」
その言葉に、シラクは即座にその場に跪まづき頭を垂れ平伏した。
「申し訳ございません――っ!!」
「良いのよ、気にしないで?」
璃緒はシラクを立たせると、さぁさぁと背中を押して廊下へ。
「じゃあ時間が無いから急いで取り掛かって頂戴」
「かしこまりました」
一礼して出ていこうとするシラクは、扉を閉めながら口を開いた。「姫様」
「ん?」
「姫様を愛してくれる人がたくさんいること、忘れないで下さい」そう言って閉じられた扉に体を預け、璃緒は長いため息を漏らす。
「愛されてること、ちゃんと分かってるよ。…でも…」
わがままでごめんね。でも必要な事なの。
瑯を取り戻す為なら、自分の幸せだって投げ売るわ。
私は王女。愛した人と結婚なんて、出来るわけない。


